東海自然歩道の起点は東西2つずつある?

東海自然歩道の西の起点は、箕面ビジターセンターの横。登山口の階段脇に立っている少々目立たない石碑がそれです。

僕のように東側から歩いてきた場合は、ここでゴールインした!という感動に浸っている暇もなく、さらに箕面駅に向けて4~5キロの道のりを歩かねばなりません。もっとも、途中に見ごたえのある箕面大滝があり、箕面川沿いの道はそれだけでも散策するに値する素晴らしい景勝ですので、退屈することは一切ありませんでした。

さて、箕面駅に到着すると。

あれ?なぜか、ここにも起点の石碑が立っています。

詳しい事情はわかりませんが、本来の起点は箕面ビジターセンターの横で間違いないはずです。Googleマップでも「東海自然歩道 西の起点」と記されています。

ただ、箕面ビジターセンターへは公共の交通手段でアクセスする手段がありませんので、結局は箕面駅から/まで、歩くほかないということになります。箕面駅前の石碑は、「実質的」な起点として、あとから造られたということなのだと思います。見た目にも新しいことですし。

さて、東側の起点と言えば、高尾山1号路から少し入ったところにある石碑がおなじみです。

ところが、実は、もう1箇所石碑が存在するのです。これ、意外と知られていないのではないかと思いますが?

場所は、京王線高尾山口駅を出て、高尾山方面へ向かう川沿いの細い道(もみじ通り)の途中。

何やらお饅頭のような形をした石が3つほど並んでいます。(写真は通り過ぎてから撮影:写真左奥が高尾山口駅)

そのうちの一つがこれ。

上に何やら文字が彫られています。しかし、読みにくいですね。

そこで写真を加工してみます。

「高尾 東海自然歩道 東の起点」と書いてあります!

比較的最近(ここ数年内?)設けられたもののようですが、個人的にはセンス無さすぎだなという印象ではあります。

役行者とレイライン

花の寺 勝持寺

役行者が関わっているお寺を調べているうち、花の寺として有名な京都の勝持寺も役行者に関係があることが判明しました。

天台宗 勝持寺 花の寺 公式ホームページ (shoujiji.jp)

白鳳8年(西暦679年)天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まり

そして、花の寺とこれまで歩いてきた軌跡、地図を見比べているうちに、不思議な事実に気が付くのです。

京都の花の寺、滋賀の石山寺、三重の椿大社、いずれも東海自然歩道の道中に存在する格式の高い著名な建物ですが、何とほぼ同じ緯度上にあるのです。一直線上に並ぶということです。よく言われるレイラインの一種です。

レイライン – Wikipedia

レイライン(ley line)とは、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説で、その遺跡群が描く直線をさす。レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがある。レイラインの存在は1921年にイギリス人のアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンス(en:Alfred Watkins)によって提唱され、その著書『The Old Straight Track』(古い直線路)によって遺跡の直線的配置性が世間一般の注意を引きつけることとなった。

日本においても過去様々なレイラインの存在が提唱されています。特に近畿の五芒星は、その構成要素の重要さと図形の正確さにおいて、無視出来ない重要な説と考えて良いと思われます。

Leyline Hunting (ley-line.net)

さて、それでは花の寺、石山寺、椿大神社には何らかの関係があるのでしょうか。

石山寺

石山寺の創建は8世紀(747年)で役行者が亡くなった半世紀後ですが、現在石山寺には役行者像があります。18世紀までは大峰山(奈良)にあったものですが、石山寺の本尊脇侍である蔵王権現が、もともとは役行者が示現したという伝承があり、その縁で寄進されたとあります。

西国三十三所草創1300年記念 役行者および前鬼・後鬼像 特別拝観 | 大本山 石山寺 公式ホームページ (ishiyamadera.or.jp)

椿大神社

椿大神社の主祭神は猿田彦大神です。猿田彦といえば天狗のルーツというイメージがありますが、天狗もまた修験道につながるものです。

当初、役行者と直接の関連は薄いかとも思われましたが、椿大神社に前座として祭神に名前を連ねる行満大明神は、猿田彦の末裔であるとともに役行者のお師匠さんのような存在なのでした。ちなみに、椿大神社の現在の宮司さんも行満大明神の末裔ということだそうです。

天狗のルーツ?猿田彦を祀る「猿田彦神社」と「椿大神社」(三重) – 不思議なチカラ (fushigi-chikara.jp)

こうしてみると、花の寺、石山寺、椿大社は、役行者・修験道というキーワードでくくることができそうです。その3つの建物が一直線上に並んでいるということは、偶然ではすまない何かがあると見て良い気がします。

ちなみに、このラインを東に向けてさらに伸ばし、静岡県内入ると春埜杉で有名な春埜山大光寺を通過することがわかります。大光寺は718年に僧行基(668-749)が開いた寺。親子ほど違いますが、役行者と行基は同時代の人。

春埜山大光寺

神奈川県愛甲郡愛川町にある八菅神社には役行者、行基いずれも来山したとの伝承があり、両者に何らかの接点があったことがうかがわれます。(八菅神社自体、役行者の開基という話もあり)

東海自然歩道と役行者

5年かけて、ようやく1000kmの旅を歩き切ることができました。東海自然歩道にはまだサブルートと呼ばれる本線以外のルートも数百キロ以上残っており、こちらにチャレンジするかどうかという話もないわけではないのですが、とりあえず、現時点では一旦終了ということにしておきたいと考えております。

それはさておき、戻ってきていろんな資料をあたっているうち、実に興味深いネタにぶちあたり、今はそれに対する関心が何より勝っている状態です。

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役行者(えんのぎょうじゃ)もしくは役小角(えんのおづぬ)は、一般に修験道の開祖として知られる7世紀の人物です。

役小角 – Wikipedia

正確な生没年は不詳(伝承では634-701年)、後世になって文芸作品に多数登場するようになったこともあり、Wikipediaの記述はまるで架空の人物であるかのようなニュアンスにも感じられますが、各地の伝承、その数の多さを鑑みるにむしろ空想上の人物と考える方が不自然と思われます。

丹沢周辺でもその名前をよく聞くのですが、もともとは関西の人。東海自然歩道を歩いている最中でも、いくつかのお寺でその名前を目にすることがありました。特に大阪には本山寺、神峯山寺を始め役行者が関わったお寺が多数あります。

そして驚いたことに、東海自然歩道の西側の起点である箕面は役行者ゆかりの地でもありました。

起源と歴史 (ryuanji.org) (箕面山 龍安寺)

役行者

西暦636(舒明6)年、奈良県茅原(御所市)にご誕生、役小角(エンノオヅヌ)とも。少年時代より入山修行を始め、御年25才にて箕面山に入山され悟道。その後日本各地の霊山を開山される。

西暦702(大宝2)年、69才の時再び箕面山へ戻られ、当寺奥の院である天上ヶ岳より御昇天される。

生涯、山々で修業を重ねて人々を救い、後世に修験道の開祖として仰がれました。

龍安寺と瑞雲橋

箕面大滝は若き日の役行者が修行した場所でもあったのです。

さらに、東海自然歩道の東側の起点である高尾山。ここにも役行者が修行をした場所との伝承があります。

高尾山1号路を歩いて薬王院に向かう途中、たこ杉を越え、浄心門をくぐるとすぐ左にちいさな祠があります。神変堂と言い、神変大菩薩が祀られているのですが、神変大菩薩とはすなわち役行者のことです。

つまり、東海自然歩道の東と西、両側の起点に役行者が関わっているということになります。

東海自然歩道そのものに役行者が関係あるわけではありませんが、修験道というのがもともと民間から発生したものであり、山にこもり、山を歩くことで自らを律し、健全な生活を目指すという意味では、東海自然歩道の理念につながるところもあるような気がします。

起源と歴史 (ryuanji.org)

修験道
一口に山岳宗教と称します。日本民族固有の思想で、自然発生的に生じ、確固とした宗祖や聖典は存在しません。
我々、日常生活の中で、正しくない言動や考えをしがちですが、不運の原因となります。それで精霊のこもる山に入って祓い清め、健全な生活をおくろうとするものです。

さて、役行者が関わっている寺院を調べているうちに、さらに興味深い事実が浮かび上がってきました。長くなるのでそれは次の記事で。

トレッキング記録 #53 荻野から箕面まで(完結)

詳細なレポートは以下のサイトで。

ヤマレコ
東海自然歩道 #53 萩谷-竜王山-箕面 – 2022年12月15日 [登山・山行記録]-ヤマレコ (yamareco.com)

YAMAP
★東海自然歩道を行く #53 萩谷-竜王山-箕面 / ひろゆきさんの竜王山・阿武山の活動データ | YAMAP / ヤマップ

歩行距離(※東海自然歩道部分のみ):19.0km

萩谷(健脚コース)-車作大橋-竜王山-忍頂寺バス停-上音羽屈折点-泉原-北摂霊園-開成皇子の墓-箕面ビジターセンター


【往路】
京都駅→JR摂津富田駅→中荻谷バス停
【復路】
箕面駅→大阪梅田駅

トレッキング記録 #52 大原野から荻野まで

詳細なレポートは以下のサイトで。

ヤマレコ
東海自然歩道 #52 大原野-ポンポン山-荻野 – 2022年12月03日 [登山・山行記録]-ヤマレコ (yamareco.com)


YAMAP
★東海自然歩道を行く #52 大原野-ポンポン山-萩野 / ひろゆきさんのポンポン山・釈迦岳・小塩山・若山の活動データ | YAMAP / ヤマップ

歩行距離(※東海自然歩道部分のみ):17.3km

大原野-金蔵寺-杉谷-ポンポン山-本山寺-神峰山寺-原-摂津峡-萩谷


【往路】
京都駅→JR向日町駅→南春日町バス停
【復路】
荻野総合公園前→JR富田駅→JR大阪駅

トレッキング記録 #51 高雄から大原野まで

詳細なレポートは以下のサイトで。

ヤマレコ
東海自然歩道 #51 高雄-嵐山-大原野 – 2022年12月02日 [登山・山行記録]-ヤマレコ (yamareco.com)


YAMAP
★東海自然歩道を行く #51 高雄-嵐山-大原野 / ひろゆきさんの京都一周トレイルの活動データ | YAMAP / ヤマップ

歩行距離(※東海自然歩道部分のみ):22.1km

高雄-清滝-落合-嵐山-沓掛-花ノ寺-大原野


【往路】
京都駅→(JRバス)→高雄
【復路】
南春日町バス停→JR向日町駅→京都駅

百穴古墳群

比叡山コースで近江神宮方面から南滋賀を経て延暦寺に向かう途中、崇福寺跡の手前に百穴古墳群(ひゃっけつこふんぐん)という史跡があります。

百穴古墳群は、今から約1400年前(古墳時代後期)に造られた墓が多く集まったところです。これらの墓は、大きな石を上手に積み上げて造られた石の部屋(横穴式石室)を土でおおったものです。石の部屋は、死んだ人を納める場所(玄室)と、これと外とを結ぶ細い通路(羨道)とにわかれています。表から見ると、この通路の入り口が穴のように見えます。この穴がたくさんあることから、「百穴」という名前がつけられました。
(中略)
古墳時代後期、古墳群は全国各地で造られましたが、この百穴古墳群のように、石室の天井がドーム状で、ミニチュア炊飯具セットが納められているという特徴は、大阪・奈良・和歌山の一部にも認められますが、ほとんどが大津市の坂本から錦織にかけての地域だけに見られるものです。現在までの研究では、これらの特徴は、遠く中国や朝鮮半島からやって来た人たちと、深く関係するのではないかと考えられています。
昭和16(1941)年1月、国指定の史跡となりました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月

現在確認されているのは64基ですが、実際には150基のお墓があるとされています。

「穴太」という地名、読めますか?

琵琶湖の西、比叡山周辺のルートを歩く計画を立てている際に、地図を眺めていると、ある地名に気がつきました。

穴太と書いて「あのう」。

少しでも事情を知らなければ、おそらく関東でこれをさっと読める人はほとんどいないでしょう。

僕が「穴太衆」という言葉を初めて聞いたのは今から十数年前。場所は遠く離れた長野県小諸市。少し遅めの夏休みに訪れた観光地で、暇そうにしていたガイドさんからマンツーマンで聞き出した情報の中にその言葉がありました。

ガイドさんいわく、小諸の見どころは「石垣」であると。そしてその石垣を造ったのが穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる技術集団であり、朝鮮系の渡来人の末裔であるという話。

もしかしたら穴太という地名も穴太衆に何らかの関係があるのかもしれないな、ぐらいに思っていましたが、関係があるどころか、そもそもこの一帯は穴太衆の本拠地だったというのが事実のようです。

実は、東海自然歩道を歩いている途中でも、すでに穴太衆に関する情報は目にしていました。同じ滋賀県内ですが、紫香楽宮跡の手前、隼人川沿いの道です。

穴太衆とは、近江の国坂本(滋賀県大津市)に拠点をおく石積み職人のことで、16世紀、織田信長の安土城築城以来、堅牢な城郭の石垣普請で全国に名を馳せました。

穴太衆積みの石垣

穴太衆による石垣の最大の特徴は、自然にある大小の石を、加工せず組み合わせるという工法。ぱっと聞いただけではそれほどすごいようには思えないのですが、独特のノウハウがあるらしい。2003年に行われた強度の実験では、コンクリートの1.5倍以上の耐荷力が証明されたそうです。

比叡山延暦寺といえば、歴史的には織田信長の比叡山焼き討ち(1571年)が有名ですが、この時、信長は延暦寺を徹底的に打ち壊すことを命じたものの、石垣だけはどうしても崩せない。そこで調べてみたところ、石垣の造成に穴太衆という石工職人が関わっていることを知り、後に重用したという話もあります。

その後、安土城(1576年築城)に穴太衆の技術が使われたのを発端に、姫路城、大阪城、名古屋城、そして江戸城に至るまで名だたる城の築城にも穴太衆が活躍することとなりました。

その技術は現代にも連綿と受け継がれており、2016年に大地震で被災した熊本城の修復にも穴太衆積みの技術が採用されたそうです。

坂本の町には至る所に穴太衆積みの石垣が残されており、坂本比叡山口駅からケーブル坂本駅に向かう道中でも数々の場所で見られます。

坂本では、延暦寺の里坊のみならず、街角の神社や古い民家の石塀などに特異な石積みが見られます。これは「穴太衆積み」と呼ばれ、坂本の大字「穴太」の一帯に古来より居住し山門の土木営繕的な御用を勤めていた「穴太衆」の技術によるものです。

比叡山コースの迂回路

滋賀県内の比叡山コース(三井寺-仰木峠)ですが、途中の「崇福寺跡-ケーブル延暦寺」間については崩落箇所が複数あり危険なため、現在通行しないことが推奨されています。(明確に通行が禁止されているわけではないようです)

今回危険を承知でその区間を歩いてきました。印象として、ある程度経験がある人ならまったく通れないという状況ではないと思いましたが、行政の立場としてはGoサインを出すわけにもいかないでしょう。

崇福寺跡近くの崩落の様子
延暦寺敷地内の崩落の様子

それではその迂回の方法はということなのですが、滋賀県のサイトに一応「迂回コースのご案内」としてPDFファイルが用意されています。

通行止め(迂回路) (shiga.lg.jp)

近江神宮方面からは南滋賀駅もしくは滋賀里駅から京阪鉄道で移動し、坂本比叡山口駅からケーブル坂本駅まで徒歩、そこからケーブルカーに乗ってケーブル延暦寺駅までというルートです。この間、実質的に歩くのは十数分という自然歩道らしからぬ行程となってしまいますが、徒歩で歩く区間にはきちんと東海自然歩道の指導標が設置されていました。

坂本比叡山口駅で下車した後、最初は道の左側を歩きます。

日吉そばを越えたところにある指導標
日吉大社 二ノ鳥居の手前の横断歩道を渡って道の右側に移ります

道なりに左に曲がる箇所ですが、日吉大社の敷地側に入り込んだ場所に設置されていますので、見落としやすいかもしれません

これらの指導標の状態を見る限り、設置されてからそれなりの年数が経過しているという印象を受けます。

迂回路の案内では「令和3年度の豪雨により」と記載されていますが、もっと前から崩落が進んでいるのが実情のようです。迂回路ばかりのコースも参ってしまいますが、自然歩道の維持管理がかなり大変な事業であるということも理解しておかなければならないでしょう。

トレッキング記録 #50 鞍馬から高雄まで

詳細なレポートは以下のサイトで。

ヤマレコ
東海自然歩道 #50 鞍馬-高雄 – 2022年11月17日 [登山・山行記録] – ヤマレコ (yamareco.com)


YAMAP
★東海自然歩道を行く #50 鞍馬-高雄 / ひろゆきさんの京都一周トレイルの活動データ | YAMAP / ヤマップ

歩行距離(※東海自然歩道部分のみ):19.8km

鞍馬-二ノ瀬–大岩-玄琢-千束-坂尻-中川-高雄


【往路】
京都駅→出町柳駅→鞍馬駅
【復路】
高雄→(JRバス)→京都駅